労務者という言葉 Ⅱ

 「労務者」という言葉がどう使われているか小説のいくつかを調べてみる。野坂昭如が1968年に書いた「騒動師たち」が岩波現代文庫で2007年に出た。この中には「労務者」という言葉は出てこない。釜ヶ崎の「あんこ」となっている。ところがびっくり!! 解説に川本三郎という評論家(?)が「あんこ」を「労務者」に変え,さらに「底辺の労務者の世界に『自由』がある筈がない。」と書いてる。岩波書店が「労務者」をどう捉えているかきになったので「広辞苑」を見てみた。「(主として肉体的な)労ムに従事する者。労働者。」とある。

 ウキペディアによると「労働を行う者。特にかって現業系労働に従事する者だけを差別的に支障した語。」とある。そのとうり!岩波はリベラルと言われてきたがこんなこともわからなくなっているとは?

 私は昔、京都新聞に「その日ぐらしはパラダイス」というエッセイを書き、労務者は差別語だと述べた。この分はそのご「ビレッジプレス」という出版社から単行本化されたが、岩波や川本のような偉いさんには読んでもらえなかったのだろう。川本の上から目線にははらがたつ。野坂昭如の小説はとても面白いのに、この解説は最悪1

労務者という言葉

労務者という言葉は「差別語」だ。関西ではマスコミは使わない。

岩田正美という人の「戦後の貧困史」を読むと、「労務者」という言葉がたくさん出てくる。関西のマスコミではこの言葉はつかわない。「作業員」か「建設労働者」だ。関東ではいまだにマスコミが使ってるようだ。

 大阪市立中央図書館で検索してみた。文学作品だけでもたくさんでてくる。山田洋二「息子・家族」、笹沢佐保「いつになく過去に涙を」、西村寿行「扉のない闇」、宮本輝「五千回の生死」、岡崎大五「俺はあしたのジョーになれるのか」などとても多い。

 関西では詩人の寺島珠雄さんが1960年代後半から「朝日ジャーナル」「新日本文学」などで「労務者は差別語」と書いた。全港湾労組も1974年ころからマスコミが使うと抗議して訂正させた。1972年に私も関わった暴力手配師の「鈴木組」の親分を殴ったとして起訴された時、検察官は私たちを「労務者」と書いたが、抗議するとすぐ訂正した。

 そもそも「労務者」という言葉はいつから使われるようになったのか。

 1900年に「治安警察法」という法律に初めて登場。時の首相山縣有朋社会主義者を弾圧するために作ったもの。山縣は「社会」という言葉も「主義者を連想するので嫌だ」という発言が残っている。当然「労働」という言葉を嫌って「労務」という言葉にしたと思われるが、この治安警察法の国会審議の議事録がどこにも残ってないので確認はできてない。この法律以後、「労務者」は軍で使われ、満州事変以後は公的文書全てに使われた。「労働」は禁句になった。

 戦後「労働」という言葉が復活する。この時それまで「労働組合」を名乗れなかった「職員組合」が「労働組合」を名乗りだす。戦前は事務職は「職員」で「労働者」ではなかった。日雇労働者は「自由労働者」と自称した。ここで「労務者」はいったん消える。

 1974年の「週刊TVガイド」3月22日号に「放送上避けたい言葉一覧表」が出た。「土方→労務者」「人夫→労務者」とある。寺島珠雄さんはこれを「朝日ジャーナル」で「改悪」と書いたが無視されたらしい。人夫は差別語らしく私のパソコンで「にんぷ」と打ち込んでも「人夫」はでてこない。「ろうむしゃ」は「労務者」とでてくるのに。

今でも関東のマスコミは犯罪者の肩書に「労務者」を使う。社会活動をする日雇労働者には使わない。関西では「労務者」の代わりに「作業員」という言葉を使う。「労務者言う言葉を今でも使う人は、「労働者」という言葉が死語になりつつある(?)時だからこそ考えてもらいたいと思い一文した。              水野阿修羅